今村夏子さんの短編集
今村夏子さんの作品の登場人物は世間一般と感覚がズレている
だけどそのズレた角度から一直線に生きようとしているからイタさを感じてしまうけど
それと同時にどこか憧れも感じてしまう
そんな感覚になる
ここでは特に残った2つの話と良かったところについて紹介
1つ目は
『モグラハウスの扉』
小学校の登下校の道に工事中の場所があった。そこではモグラさんと呼ばれる男の人がいて、小学生の児童たちと遊んでいた。モグラさんは工事がマンホールの下にボウリングやレストランのあるモグラハウスを作るためだと言っていた。ある日そこに先生がやってきて…という話
2つ目は
『父と私の桜尾通り商店街』
主人公とその父親は桜尾通り商店街でパン屋を営んでいた。しかし父方の祖母の介護や父親の体力の衰えなどからパン屋の材料がなくなったらパン屋を閉めることにした。そんなある日パンを美味しいと言ってくれる女性が来店して、主人公はその女性のために日々パンを用意することにするが…と言う話
では具体的に心に刺さったところを1つずつ紹介
まず1つ目は、純粋な心について
『モグラハウスの扉』では、
モグラさんは小学生相手にマンホールの工事をファンタジックに語って楽しませている
一方で先生はマンホールの中の出来事を本当だと捉えている部分があったり、モグラさんを想う一貫した愛情があったり
とても純粋な心を感じる
モグラさんが子どもたちの心に寄り添うのに対して先生は子どもの心を持ち続けている
という対比のように読むことができるんですけど
先生の行動はおそらく多くの人からしたらイタい行動で
先生は常識のない人として扱う対象とされてしまいそうな人の印象を受けた
だけど多くの人が忘れてしまった、もともと持っていたはずの心をずっと持っていることってとても素敵だと思うんですよね
一方で自分の中でその心を持った人を避けてしまう心理が働くことに冷たさを感じてしまいまして
もっと素敵なことだとちゃんと思えるようになれたらなって思いました
2つ目は、多種多様なハッピーエンドについて
『父と私の桜尾通り商店街』で
父と主人公がとる行動って効率性とかの観点から言うと間違ってることばかりな気がして
最終的な結末も何も解決していないし
主人公はそもそもパン屋継ぐためにしなきゃいけないことしてなさすぎだし
って思ってたんですけど
あとがきで今村夏子さんがこれはハッピーエンドだっていうことを言ってて
それも解説を読むと腑に落ちる
主人公には商店街が決して居心地の良いものではなくて商店街でパン屋として成功するのはハッピーエンドではないんじゃないか
ってことでこの結末になってる
というのが
他者の幸せを考えることの傲慢さを感じてしまった
自分から見えてる他人なんて所詮他人の一部で
本人よりも情報量が少ないから
相手にアドバイスをしたり、相手の行動にとやかく言ったり
っていう行動で相手を変えようとするのは
自己満足でしかないんかな
とか色々考えてしまった
絶対本の主題とは違うけど
今村夏子さんの作品は作品が全体が導入部でその作品を受けて思考することが本題って感じするな
『とんこつQ &A』も読まなきゃだな