活字中毒者の禁断症状

引きこもりが読書感想文を提出するブログ

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自分が就活に向いてないことくらいわかってるけど

あまりにもってことが多すぎて

違和感が多すぎて

色々が気持ち悪くて


まずここぞとばかりに横文字を並べるのと日本の会社にアルファベット数文字の会社名が多すぎのは何なんやろうか

色々説明するときにBtoBとかESとか全部用語が英語で直感的に分かりにくいのはどうしてなんやろうか

就活をする人が日本人メインなのは変わらんやろうし、っていうか他の国人たちに配慮するには足りなすぎる配慮だし

英語圏の人たちの会社の名前が日本語ばっかりでビジネス社会の用語としてひらがなと漢字が並んでいたとしたら、そういう人たちはカッコいいと思うんやろうか、気色悪さは一切感じんのやろうか

一つひとつの用語を知ってるか知らないかで伝わる情報量が大きく変わるのは会社として不利益をもたらすとは思わんのやろうか

それとも知らない人はそもそもいらないって冷めきった思いなんやろうか


紹介される代表みたいな人がみんな宣材写真みたいなのがあって

それが晴れた外で笑顔で撮ってるのはなんでやろうか

わざわざ晴れた日にスケジュールを空けて撮影して爽やかな天候で爽やかな笑顔で

そういう修飾をつけてすごい人感を演出しようとする意味はあるんやろうか

本当に立派な人ならスケジュールなんて空けずに普段仕事場で撮った写真でも良くないのか

話し方とかでちゃんとしてる人なんかどうかはこっち側の判断に委ねるんでいいんやないやろうか

それっぽさの演出はいるんやろうか


求められる人物像としてのリーダーシップと成功体験は本当にいると思っとるんやろうか

リーダーシップに自信のある人たちを集めた集団は上手く機能すると思っとるんやろうか

リーダーに向いてるかどうかは兄弟の有無とかにも結構左右されるやろうし

リーダーに向いてるかどうかなんて自己申告で判断できるものやないんやろうか

シミュレーションしてみんとわからんのやないやろうか

成功体験を聞いてどうするんやろうか

どれだけ成功してきたかは失敗に対する脆弱性を表す部分もあるってことは考えんのやろうか

成功体験を通してつけてきた自信が一時的で一回の失敗体験で上書きされることもあるってことは考えんのやろうか


みんな自分がすごい人間だって主張するのに違和感は持たんのやろうか

これまで自分がすごいっていう人たちにすごいって思ったことはない気がする

自分の性格として失敗体験をエピソードとして梱包して笑ってもらいたいから失敗体験は記憶に残りやすい

一方で成功体験はある人の失敗体験と直結しててそのことで負った傷の深さは計り知れないから出来るだけ話したくないし、悦に浸りたくないし、記憶から抜けやすいし

それでも自信話を周りにしてきてうまく喋れるようになっている人の方が仕事はできる人としてみなされるんやろうか

その因果関係はどうなっとるんやろうか


他社さんも素晴らしいけどうちの方がより素晴らしい

こんな仕事ができる素晴らしい人材がいる

そんなことを各社が言って

優秀な人材は各社に散らばってて

似たような仕事をどれだけ早くできるかで利潤を上げて

遅かった方は損失を出して

そんなことを日本国内とかいう近場でいろいろやっとるから日本経済は衰退してくし

先進国には遅れをとるし

貧富の差が大きくなるし

焦燥感から精神は壊れるし

とか考えんのやろうか


向いてないな、就活に