芥川賞受賞作
百合っぽい?
話は、別荘を手放すことにした貴子とその別荘の所有者の娘であり、幼少期に貴子と別荘で仲良く遊んでいた永遠子の2人が別荘を片付けていくなかで当時の思い出を反芻しながら会っていなかった25年間と過去と未来、あらゆる時をゆっくりと咀嚼していくような、そんな話
全体的にとても上品で綺麗な文章で
芥川賞を同時受賞した西村賢太さんの『苦役列車』の正反対の雰囲気で芥川賞の面白さがそこにあるなって思いますね
この本で筆者は、夢と回想と現在を行き来することでその境目とか真実と記憶との境目とかを飛び越えるような感覚を表現しようとしていると思うんですね
ただそれを品のある言葉で何一つ欠くことなく表現することって一時的な感情とか主観とかを除く必要があると思うんで不可能に近いと思うんです
だから多少気になるところはあるにはあるんですけどそれにしてもその試みとか表現の美しさを考えれば芥川賞っていうのは納得ですね
この本全体ではたった2日間の話なんですけど
永遠子の母としての現在と、貴子と遊んでいた高校生くらいの過去
貴子の父親と2人暮らしの現在と、永遠子と母親である春子と叔父の和雄の3人と別荘で過ごした幼少期の過去
の4つが入り組んでいるんで物語としての厚みはある感じがしますね
昔の友達と久しぶりに話す時の思い出話に花を咲かせる様子の究極という感じで、それぞれが記憶の断片を持っていてそれを持ち寄って過去を構築しようとしてる感覚をここまで表現できるのはすごいなって思いますね
で、個人的に好きな表現は
貴子と永遠子の髪が絡み合っていて眠りについている描写で
お互いが1つの記憶のなかに溶け合って一体化している精神的な交差を物理的な交差として表現してるのがオシャレで
しかもそれを最初の方に持ってきているのがこの本全体の構成の暗示をしているというのがまたオシャレですね
まあ1つわからないところは
貴子と永遠子がそれぞれ1人でいるときに後ろから髪を引っ張られる感覚に陥っているところで
2人とも正の描写としてじゃなくて負の描写で描かれているのがどうしてなのかなという気はしましたね
おそらく過去に引っ張られることの怖さみたいなものを表しているんだとは思うんですけどここだけちょっとファンタジーっぽくて引っかかりはしましたね
いとうせいこうさんの『想像ラジオ』に似ているような死者との対話みたいなところもあって全てを捉えようとすると少し難しかったんですけど
ここまで品を感じる作品はあんまり読んだことがなくて面白かったですね