活字中毒者の禁断症状

引きこもりが読書感想文を提出するブログ

地頭

塾で小学生相手に勉強教えていると無意識のうちに自分の小学生時代と比べていることがよくある。そして自分が教えている生徒より自分がよくできていたと思うことはほとんどない。自分がこの子に勉強偉そうに教えられないなと思うので上から目線で怒ったり褒めたりする気はなくなる。


たぶん自分が人生で一番投げかけられた言葉は馬鹿という言葉だと思う。特に中学くらいまでは馬鹿とお前は何もできないを交互に与えられなければ生きられないのかと思うくらい頻繁に言われていた。小学4年の頃に授業内容が全く理解できずテストで0点を取った。このままでは取り残されると思った。当時の僕は勉強をしないと生きていけないという洗脳に侵されていたのでその頃から毎日勉強を数時間ずつしなければならなくなった。

中学の頃の睡眠時間は4〜5時間が多かったと思う。そのくらいしないと理解できないことが増えていた。高校時代はそれ以上。大学に入ってもここまで毎朝机に向かっている奴がいるのかと思うがそれは仕方ない。自分の力量以上まで来てしまったから。


これは今の僕はこんなに立派になりました、褒めてとかそういうことじゃなくて、馬鹿と言われましたとかいうネガティブアピールでもなくて。というか小さい頃に馬鹿だと言われたのは別に嫌じゃなかった。

それは『お前は馬鹿なんだから人の何倍も何十倍も時間をかけてやっと人並みになれる』という言われ方をしていたからだ。

中学までは勉強なんてほとんどしなくても理解できるとかいうありふれた天才もどきの言葉に同意できない馬鹿が時間さえ掛ければその辺りの奴に追いつけることに追いつくことが出来ることを小学校から大学までかけて体現出来たことが単純に嬉しい。


今でも何かしらの試験を受けるときにはその試験を受ける人の中で一番時間をかけて受けることを心がけている。そうしないと平均を取れなかったり、合否がある試験は大体落ちたりしている。それで意外とできなかったんだとか調子悪かったんだとか言ってくる奴は人のこと知らないくせにうるせえなと思う。

ただ最近では馬鹿のカモフラージュの術が上達したのかあんまり馬鹿だと言われなくなった。表面的な頭の良さが同じだったら発想がぶっ飛んでる馬鹿の方が有利だと思い始めた。