芥川賞候補作
あらすじ
ある日突然夫が風呂に入らなくなった。特にこれといった理由はなくただ入りたくなくなったようだった。何週間も風呂に入らない間に夫の体臭はキツくなり、会社や義母から連絡が夫の臭いについての連絡が届くようになる。ある日、里帰りをして川に入り…という話
高瀬隼子さんの作品は世間一般の感覚からズレた人たちの感覚と心情を感じることができて好きなんですけど
本作は主人公本人ではなく夫が世間からズレてしまうっていう点が特徴的でしたね
最後の結末がどう捉えたら良いかわからなすぎるっていうのはあったけど
やっぱりこれまでに全く読んだことないことを書いてくれる作家さんだよなって思います
では具体的に良かったところを2つほど紹介
まず1つ目は
昔飼っていた魚との照らし合わせ
主人公は子どもの頃台風のときに捕まえた魚を飼っていて
その魚は水槽の中でどんどん大きくなっていったっていうような内容が随所で差し込まれていて
風呂に入らずに雨や川で水を浴びる夫の状況と照らし合わされてる印象を受けた
きっと人が用意したものの窮屈さが描かれていて
成長するためには必要だけど
結局風呂なんて人間社会っていう枠組みの中で生まれた慣習に過ぎない
無理して慣習には従わなくても良いんじゃないかって提案してるように感じましたね
2つ目は
愛や家族の妥協点
夫が会社や義母から心配されたり、疎まれたりするなかで
主人公は風呂に入れと強く言えないし
夫が社会から離れるしかなくなっても
主人公は夫について行くことで夫を見捨てない
意識的に他者を不快にする体臭を放つことをやめないことって
公害になりうることだから妻の立場上やめさせるべきだけどそれでもやめさせないのってどういう意味があるんかなって思って2つの仮説考えた
1つは愛情の一貫性
結婚することって愛を誓うことで
今後愛情を一貫して注ぐことが約束されてる感じがあると思うんですけど
それってある意味罪と罰みたいな関係だなって思って
一つの罪に対して無限に罰を要求することってできないけど罪が悪であることに間違いはないから罰をやめさせる権利がないように思える
それと同じように愛に対して無限に許容してしまうみたいなことかなって
ただ家族はどこまで許容するべきなんだろうとも考えた…難しい
2つ目は同一化
結婚することで夫という存在と密度の高い共同体に所属することになるから自身の一部みたいな感覚になって
妥協とかってよりは自分自身である感覚が強くなって
その結果寛容になるとかじゃなくて
夫を否定することが自分を否定することになる意味合いが強くて夫の行動を否定できなくなるのかなって思いましたね
高瀬隼子さんらしさを掴んでた気がしてたのにこの作品はちょっと感じ方が違った
もっと奥深い世界が広がってる作家さんなのかな