高橋弘希さんの最新小説集
『叩く』
闇バイトで金持ちの老婆の住む家に忍び込んだ主人公は仲間に裏切られ、老婆の家で目が覚める。老婆は拘束されていたが、主人公の顔を見ていた。顔がバレてしまった主人公は老婆を殺すために包丁を取りに行き…という話
『海がふくれて』
高校生の琴子と琴子の幼馴染で恋人である颯太の2人が住む街には今はもう使われていない灯台が建っていた。琴子は海で行方不明になった父のことを思い、海に思い馳せながら、颯太と灯台に忍び込んだり、颯太の家の犬のキナコを散歩させたりしながら日々を送る。ある雨の降った日、琴子は颯太が海を歩いているのように見え、海に行くが、そこには誰の姿もなくて…という話
高橋弘希さんの書く小説が凄く好きで
これで読んだのがたぶん5冊目なんですね
正直本作にも好きな要素が色々あったけど
その濃度みたいなものはちょっと薄くなってしまっている感じがした
短編集だからかなとは思うんだけどもっと心の揺れ動きを繊細に書く話がほしかった気持ちはあるなって思った
だから一番暴力性を直接感じた『叩く』と心情を一番感じた『海がふくれて』を紹介
この2つの話について良かったところを1つずつ
『叩く』では
主人公の男の暴力の宛先
この話ではくどいくらい男が老婆を殺すかどうか悩んでいる
その一方で老婆の家にいるある一匹の鳥に対しては躊躇なく暴力性を発露させる
この話ってその対比を楽しむ作品である気がして
その違いが何かを考えると
弱者か強者かっていうのがわかりやすいと思う
老婆は拘束されていて金も盗まれて弱者であるのに対して
鳥はもう一匹の鳥を怪我させる強者であったから
男が自身が弱者のように思っているから強者の鳥に歯向かえるけど老婆に対して立ち向かうことはできないっていうことですね
ただ自分はあんまり男に共感できないなって思う
この話の一番最初の段階だと老婆って強者だと思うし
弱者と強者の関係って流動的なものだから
この話の終わりで男は弱者ではない気がするし
主観的な力関係って色んなものを縛り付けてしまうから
手にしやすいけど手放したほうが楽になる価値観だなって思った
『海がふくれて』では
恐怖へと立ち向かうことによる精神の自立
琴子からした海への思いを考えるとこの話はすごく味わい深くなる
身近なもので親しさを感じているのは散歩をしたり、颯太と会ったり、手紙を投げたりするのが海であることからわかるけど
海からの漂流物で恐ろしさを感じてしまったり、海がふくれていく怖さを知ったりするところでは間違いなく海が恐怖の対象でもあることも示していると思う
だけどその恐怖に立ち向かった結果最終的にはいろいろなことを受け入れられて
海から遠い将来の話をしている
っていうのが近いけど怖いものに立ち向かうことによる精神の自立の比喩みたいだなって思った
恐怖に飲まれそうになる体験で自分の精神のレベルが上がるというか
抜本的に違う場所に行く感じっていうのが心の性質の1つとしてあるんだろうな
っていうのを考えたなあ
あと普通に『海がふくれて』の日常的な部分の描き方はとても好き
高橋弘希さんの作品はあと2作品読んでないんだけどたぶん残りの2冊は楽しめるはず
と思いたい