活字中毒者の禁断症状

引きこもりが読書感想文を提出するブログ

客体としての欲望

僕は自分の中の主体性が身体から抹消されているのでこれがしたいあれがしたいとかいう感覚がわからない。本当にしたいことなんて何もない。したいことがわからないんじゃなくて何もない。別に何をしてもいいし、何をしなくてもいい。僕の行動は、こう行動する人がいたら良いな面白いなと思うことを身体側の人にやってもらっているだけだ。だから今の自分の行動は理想の人の行動だ。性格や精神と直結しないので良いとか悪いとかない。


ただそこまで欲がないと困るのが社会に出るまでの面接だ。したいことがないのだから志望動機なんて周りから借りた言葉で捏造するしかない。大学だって部活とかサークルだってこの人がこうしたら面白そうと思うままに決めてみたので本当にこれがしたいと思うものはなかった。ずっと人に勧めている感覚しかない。


主体性をもってという理念を掲げているコミュニティには行ったらいけない気がしてしまう。主体が抹消されて客体しか残っていない自分が嘘をつかずに求められることはあるのかが不安になる。感情があまり揺らがない人は嫌われることもないし好かれることもないような、いてもいなくても変わらないような存在だと思う。


今の自分は自分的には本当に好きで理想を実現してくれる存在なのでここだけはあまり変えたくないと強く思う。でもこのままの自分は社会からはなかなか受け入れられない。たぶん面接でしたいことは何もありませんと言ったらすさまじい空気になる。最近徐々に人間らしい感覚を取り戻しつつある部分もあるが、根本的な離人感は揺らぎがない。ちゃんと治療とかするべきなのか、病院に行くべきなのか悩む。こんな存在がいた方が社会としては面白いと思うのにあんまり志望動機とか個人的な感情に関することを聞かないでほしい。