小学校・中学校・高校と合唱コンクールという行事が好きじゃなかった。クラスで全員がグルになって1人で歌わされるようなしょうもないいじられ方というかいじめられ方というかをされたことも嫌だったが、それ以上にみんなで同じ目標に向かって同じ音程で歌いましょうっていうノリが嫌いだった。
合唱自体が嫌いなわけじゃない。ぷらそにかとかYOASOBIの群青とかは好きだしよく聴く。それに自分が歌うのが苦手なのも嫌いな要因ではあるが、そこはそんなに大切じゃない。何より不和を内に孕んだ集団が歌を通して1つになろうとしてるのが好きじゃない。普段汚い暴力的な言葉を投げている側と投げられている側が声を1つにしようとする行為に違和を感じざるを得ないし、なんか気持ち悪く思っていた。全て表面上の歌声だけで包み隠そうとしてるのが不快だった。
それに合唱練習に熱を入れ本番で上手くいったとかどうとか言っている教師も嫌いだった。クラスの本質的な構造を忘れているみたいに涙を流すのが信じられなかった。
どうしてこのクラスに漂う異様で歪な空気感に不釣り合いな感情表現をできるのかがただただ不思議だった。
全てが平和的で全員が合唱に意欲的なんて空間は滅多にないのにどうして多くの学校がそんなことをやってるのかが不思議だ。
合唱コンクール前後でクラスの雰囲気が変わってるのは感じたことがないし、むしろ練習を通してそれまでのクラスの緊張感の張力が次第に上がっていくのを感じることの方が多いのにどうしてなんだろう。
僕は合唱に興味を示さず口を出さずただ過ぎ去るのを待つ教師が好きだった。
僕は好きな人が有志で歌って歌いたくない人は堂々と口パクをするクラスが好きだった。
そっちの方が一人ひとりの存在や個性を感じるし人間味をリアルに表現していて美しいと思ってしまう。